Loudest, Fastest, Craziest Black Rocker in the World - Remembering Little Richard

2010年代後半にファッツドミノやチャックベリーの訃報が相次ぎ、2020年5月リトルリチャードが亡くなった。これで50年代ロッカーの生き残りはジェリーリールイスだけになってしまった。

1950年代のロック創世記のアーティスト達が20~30歳前後で活動していたとすると、単純に計算してもそろそろ寿命というワードが現実味を帯びてくる時期に差し掛かっているので驚くような事ではないのかもしれないし、多かれ少なかれ破天荒なライフスタイルを送るケースが多いロッカーが平均寿命付近まで生きていただけでも大往生だった、と考える事もできるのかもしれないが、自分が音楽フリークになるキッカケになった5、60年代のロックンロールやオールディーズの尊敬し憧れて止まない先人達が鬼籍に入ってしまうのはやはり寂しいものだ。

一部の人にとっては言うまでもない事だが、彼はロックンロールのオリジネイターの一人であり、エルヴィスやチャックベリーと並び、50年代ロックンロール旋風のど真ん中にいたような人である。50年代のロックンロール旋風の詳細については当サイトのGolden Age of Rock ‘n’ Rollを参照して貰うとして、今回は改めてリトルリチャードについて書く事で我々Double Barrel Rock ‘n’ Roll Showなりの彼へのトリビュートとしたい。

彼の最大の魅力はロックンロールオリジネイターとしての功績もさることながら、やはりその規格外に破壊力を持ったボーカルスタイルとスピード感溢れる楽曲の数々だろう。激しさやブルータルさ、スピード感といった、人々がロックンロールに求めているであろう要素を余す事無く他の誰よりも体現してくれているのが彼のシグネイチャースタイルである。

その規格外に爆発力のあるボーカルスタイルはゴスペルからの影響が濃厚と思われる。信心深い家庭に育ったリチャードのボーカルスタイルにゴスペルの影響が濃厚なのはごく自然な事で、BBキングやアレサフランクリン等の歌が野太く豊かな声量を武器にしているようなアーティストも皆揃ってゴスペルからの影響を公言している。

ゴスペル、というと穏やかで心洗われる宗教音楽をイメージするかもしれないが、黒人のチャーチミュージックというのはかなりハードで躍動感に溢れ、幼い頃のエルヴィスプレスリーも地元の黒人教会の牧師のパフォーマンスに強く影響を受け後の彼のスタイルに反映させている事からもロックンロールの要素の一つにゴスペルの影響が少なからずあるのは明白だ。Lリチャードが強く影響を受けたといわれる女性ゴスペルシンガーのシスターロゼッタサープにしても歪ませた(というより音量が大きすぎて歪んでしまった)エレキギターを自らプレイしつつハードにシャウトするブルータルなサウンドが特徴だ。

又1932年生まれのリチャードは同時期のブラックロッカー、チャックベリーやファッツドミノが1920年代生まれだったのに比べて若く、50年代にはまだ20代前半の勢いのある若者であった事も彼のサウンドの革新性や激しさに影響しているように思う。音楽をやっていた人間なら身に覚えがあるかもしれないが、20代も後半になってくると妙にレイドバックする/したがる時期があり、ベリーやドミノは丁度その辺りの年齢に差し掛かっていた。

より意識的・戦略的に若者の日常を題材にした歌詞の内容で支持されていたチャックベリーは、50年代半ばには既に中堅ベテランミュージシャンで、時代の流れに乗り大ブレイクしたが、そのサウンドのベースにあるのはブルースの巨人、マディウォーターズへの憧れを滲ませた伝統的なシカゴブルースであり、ファッツドミノもジャズ発祥の地ニューオリンズの肥沃でヴァーサタイルな音楽シーンを基盤としたスタイルありきのロックンロールであった。

更に言うとリトルリチャードがレコードを出していたスペシャリティレーベルはLAが本拠地で、ニューオリンズ辺りとの結びつきは強かったものの、映画産業の町ハリウッドが身近な存在にあり、急速に量産され始めたティーンエイジャー向けのロックンロール映画等流行をリアルにスピーディに目の当たりに出来る地の利を持ち、最先端のモダンなロックンロールを世に送り出すのに好都合な環境が揃っていた。

そして彼の音楽的基盤にはゴスペルもさることながら白人のカントリーミュージックからの大きな影響も見受けられる。彼の代表作である Keep a Knockin’ は白人ウェスタンスウィングのボブウィルス&テキサスプレイボーイズの Keep Knocking (But You Can’t Come In) のリメイクだ。このボブウィルスというカントリー歌手はチャックベリーのデビュー曲 Maybellene の原曲となった Ida Red という曲もやっておりロックンロール誕生の一つの鍵となる白人アーティストの一人でもある。

余談ついでに、このリトルリチャードの Keep a Knockin’ の印象深いイントロのドラムリックはレッドツェッペリンの50年代ロックンロールへのオマージュ曲 Rock and Roll のイントロに流用されている。

リトルリチャードの後続への影響は計り知れないが、パッと思いつく例を挙げても、ビートルズの I’m Down やCCRの Travelin’ Band 等あからさまなリトルリチャードへのオマージュ曲があったり、ディープパープルの Speed King などはその曲調もリトルリチャードの70年代HR的解釈であると同時に歌詞に Good Golly Miss Molly, Lucille, Tutti Frutti 等リトルリチャードのヒット曲のタイトルが散りばめられており、欧米のロックシーンの基盤にいかにリトルリチャードが根付いていたかが伺える。

ロックンロールが全国区の音楽として産声を上げてから65年余り、ロックやポピュラーミュージックが多様化し,その焦点や原点が曖昧になってからも久しい時間が経とうとする2020年に訃報という残念な形ではあるもののロックはラウドでファストでブルータルでアグレッシヴである、という事を改めて全世界に向けて気付かせ、ロックの原点の「凄味」を再確認させた彼はやはり天が遣わしたロックンロールの申し子以外の何者でもなかったのだろう。

May he rest in peace and keep on rockin’ in Rock ‘n’ Roll heaven!!